とぶひ2.png

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「竜王山」と「津布田火の山」は、かつて福岡の太宰府から奈良の都に警報を伝達する「烽燧(とぶひ)制」の中継地でした。この制度の起こりは7世紀半ばで、火が飛ぶような様から「烽燧」と呼ばれました。警報は、昼間はたき火による煙、夜間はたき火の炎によって下関の火の山~津布田火の山~竜王山~宇部岬~東岐波の日の山と、順次東に伝達されました。

烽燧制は、8世紀終わりには民力の疲弊を理由にいったん廃止されますが、その後も時に応じて活用されました。