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【アクセス】 高須バス停から徒歩で2分 

 

 

 

 

 

 

来嶋又兵衛は、文化14年(1817年)旧西高泊村高須にて、萩藩士「喜多村左治馬正倫」の二男として出生しました。幼名は光次郎と言い、少年時代をこの地で過ごし、20歳で大津郡俵山(現在の長門市)の来嶋又兵衛政常の(むこ)養子となり、又兵衛政久と改名しました。

又兵衛は、剣の腕前は新陰・神陰両流の免許皆伝。槍術・馬術にも優れ、加藤清正の再来とか、鬼又兵衛などと呼ばれました。また、正義感が強く、几帳面で行政面にも通じ、藩の要職を歴任しました。

文久3年(1863年)の禁門(蛤御門)の変で、又兵衛は長州藩の急先鋒として出兵し、薩摩藩との激戦の末戦死しました。この政変で、長州藩は一時”朝敵”の汚名を受けましたが、王政復古により名誉を挽回し、又兵衛には明治24年(1891年)正四位が贈位されました。(出典:『小野田市史』)