【国指定文化財】
浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)
旧小野田セメント製造株式会社竪窯(きゅうおのだせめんとせいぞうかぶしきがいしゃたてがま)
【国登録有形文化財】
小野田セメント山手倶楽部(おのだせめんとやまてくらぶ)
【県指定文化財】
岩崎寺仏像(がんきじぶつぞう)
旧小野田セメント製造株式会社竪窯(きゅうおのだせめんとせいぞうかぶしきがいしゃたてがま)
通称:徳利窯(とっくりがま)
銅鐘(どうしょう)
長光寺山古墳出土品(ちょうこうじやまこふんしゅつどひん)
木造十一面観音菩薩立像(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりつぞう)
物見山経塚出土品(ものみやまきょうづかしゅつどひん)
長光寺山古墳(ちょうこうじやまこふん)
妙徳寺山1号経塚出土品(みょうとくじやまいちごうきょうづかしゅつどひん
妙徳寺山古墳出土品(みょうとくじやまこふんしゅつどひん
【市指定文化財】
塩浜石炭焚滓堆積地(しおはませきたんたきかすたいせきち)
旧本山炭鉱斜坑坑口(きゅうもとやまたんこうしゃこうこうぐち)
高泊御開作新田記(たかとまりごかいさくしんでんき)
小野田の皿山用具(さらやまようぐ)
小野田の皿山製品(さらやませいひん)
松山窯跡出土品(まつやまがまあとしゅつどひん)
仁保の上古墳(にほのうえこふん)
仁保の上道乾屋敷跡(にほのうえどうかんやしきあと)
法連寺梵鐘(ほうれんじぼんしょう)
旦の登り窯(だんののぼりがま)
千林尼の大休・指月石畳道(せんりんにのたいきゅう・しづきいしだたみみち)
塚の川古墳(つかのこうこふん)
岩崎寺観音堂鰐口(がんきじかんのんどうわにぐち)
長光寺山経塚(ちょうこうじやまきょうづか)
長光寺山経塚出土品(ちょうこうじやまきょうづかしゅつどひん)
松嶽山正法寺古文書(まつたけやましょうほうじこぶんしょ)
厚狭毛利家墓所及び墓碑(あさもうりけぼしょおよびぼひ)
石字経王塔(せきじきょうおうとう)
薬師如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像
(やくしじょらいざぞう・ふどうみょうおうりつぞう・るしゃもんてんりつぞう)
糸根の松原(いとねのまつばら)
平松1号古墳(ひらまついちごうこふん)
古式行事(こしきぎょうじ)
ハマセンダン

【国指定文化財】

 

浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)

寛文8年(1668年)に作られた排水用樋門。潮の干満で生じる自然の水圧を利用して開閉する招き戸など当時の工法を伝える貴重な遺構である。
国指定史跡。(平成8年3月28日指定)


【名称】周防灘干拓遺跡高泊開作浜五挺唐樋
    (はまごちょうからひ)
【所在地】 山陽小野田市大字西高泊字浜
【アクセス方法】 浜バス停留所より徒歩2分
MAP TOP↑


旧小野田セメント製造株式会社竪窯
 
旧小野田セメント製造株式会社竪窯(たてがま)

旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。
焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18mである。
わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である。
竪窯は、国重要文化財。(平成16年12月10日指定)
竪窯周辺は、県指定文化財「小野田セメント徳利窯」。(昭和44年2月4日指定)

※平成27年12月10日~平成28年3月31日の間、工事のため見学不可。


【名称】旧小野田セメント製造株式会社竪窯

【所在地】山陽小野田市大字小野田6276番地

     (若生町)

【アクセス方法】 JR南小野田駅より徒歩7分
MAP TOP↑



【国登録有形文化財】


小野田セメント山手倶楽部

小野田セメント山手倶楽部

旧小野田セメント株式会社第4代社長笠井真三氏が、ヨーロッパ遊学の帰途、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロックを製造。大正3年(1914年)6月に完成した。
大正時代のブロック建築は大変珍しいものであり、建築史上貴重な建物である。
国登録有形文化財。(平成12年12月4日登録)

【名称】小野田セメント山手倶楽部

【所在地】山陽小野田市大字小野田字小屋ノ尾6094

MAP TOP↑



【県指定文化財】

 

岩崎寺仏像
岩崎寺仏像(がんきじぶつぞう)

大同元年(806年)に開創された岩崎寺内には木造千手観音菩薩立像や阿弥陀如来坐像をはじめ平安時代中期~鎌倉時代初期のすばらしい仏像が安置されている。
県指定文化財。(昭和58年4月5日指定)

「木造千手観音菩薩立像」「木造釈迦如来坐像」
「木造阿弥陀如来坐像」の3躯は、毎年2月18日のみ公開の開帳秘仏です。
【名称】 岩崎寺仏像(がんきじぶつぞう)

【所在地】山陽小野田市大字有帆字岩崎2289番地の1(角石)

【アクセス方法】有帆小学校前バス停留所より

        徒歩5分

MAP TOP↑


小野田セメント徳利窯
 
旧小野田セメント製造株式会社竪窯(たてがま)
通称:徳利窯(とっくりがま)

旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。
焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18mである。
わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である。
竪窯は、国重要文化財。(平成16年12月10日指定)
竪窯周辺は、県指定文化財「小野田セメント徳利窯」。(昭和44年2月4日指定)


【名称】小野田セメント徳利窯

【所在地】山陽小野田市大字小野田6276番地

       (若生町)

【アクセス方法】 JR南小野田駅より徒歩7分
MAP TOP↑


銅 鐘


 

銅 鐘(どうしょう)

高さ116.5cm、口径67.2cmの梵鐘で、鐘楼に納められている。銘文によれば、南北朝動乱の頃の正平18年(1363年)長門守護職、長門守武貞(仮説では、(厚東義武)の寄進によるものである。
県指定文化財。(昭和41年6月10日指定)

【名称】銅 鐘(どうしょう)

【所在地】山陽小野田市大字山川1727番地
(松嶽山正法寺)


MAP TOP↑


長光寺山古墳出土品
 

長光寺山古墳出土品
(ちょうこうじやまこふんしゅつどひん)

明治14年(1881年)発見された長光寺山古墳の後円部の二基の竪穴式石室の内外から採集された遺物である。古墳の築造時期は4世紀後半で、県域の古墳分布から推して、長門地方における初代の地方首長の副葬品である公算が大きい。
県指定文化財。(昭和51年3月16日指定)

【名称】

長光寺山古墳出土品 <12品>
ぼう製三角縁神獣鏡(3面)

ぼう製内行花文鏡(1面)

鍬形石(1個) 巴形石製品(1個) 筒形銅器(1個)

鉄製工具の茎(1個) 土師器(1個) 鉄刀破片(1括)

鉄剣破片(1括) 埴輪破片(1括)


【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
    (厚狭図書館)

MAP TOP↑


木造十一面観音菩薩立像
 

木造十一面観音菩薩立像
(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりつぞう)

正暦2年(991年)花山法皇の開基による松嶽山正法寺(真言宗)の本尊。像高167cm、カヤ材の一本造りで、頭体部に内ぐりが施され、体部の背板裏の墨書銘によると、建久4年(1193年)の作で、県内9体の中で2番目に古い。
県指定文化財。(昭和60年4月16日指定)


【名称】 木造十一面観音菩薩立像

【所在地】山陽小野田市大字山川1727番地
松嶽山正法寺※現在、山口県立美術館に一時保管。

MAP TOP↑


物見山経塚出土品
 

物見山経塚出土品
(ものみやまきょうづかしゅつどひん)

昭和40年、物見山の山頂部に築造されたと推測される経塚跡から発見された。写経文は約22cm幅の薄手紙本で妙法連華経28品全巻を書写してあるが、巻首が欠けているので年代、施主等は不明。写経文を納めた経筒は、外径5.2cm、高長30.5cmの鋳銅製で銅板の厚さと細身の筒身から中世初期のものと推定される。
県指定文化財。(平成元年10月24日指定)


【名称】 物見山経塚出土品<6品>
銅経筒(1口) 陶外筒残欠(1口分) 甕残欠(1口分)
紙本墨書法華経8巻(1巻) 鉄刀(1口) 

鉄刀子残欠(1口分)

【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
     (厚狭図書館)


MAP TOP↑

長光寺山古墳
 

長光寺山古墳(ちょうこうじやまこふん)

明治14年(1881年)石室が発見され、昭和46年の再調査により、学術的事実が解明された。厚狭盆地を見下ろす標高約60mの丘陵頂部に位置する全長約58mの前方後円墳。後円部墳頂に2基の竪穴式石室が並列して築かれ、割竹形木棺が埋置されていたものと推定される。後円部墳頂には、円形埴輪や家形埴輪及び供献土師器が認められる。
本古墳は、4世紀後半代に築造されたものと推定され、長門部における最古のものであり、県内の代表的な前方後円墳である。
県指定文化財。(平成3年4月5日指定)


【名称】長光寺山古墳

【所在地】山陽小野田市大字郡字弥ケ迫697番地の1、698番地の1、698番地の2及び698番地の15(西下津地内)
指定面積4,199㎡(4筆合計10,595㎡)

MAP TOP↑



妙徳寺山1号経塚出土品
 

妙徳寺山1号経塚出土品 (みょうとくじやまいちごうきょうづかしゅつどひん)

平成2年に発掘調査が実施され、経塚の築造時期は平安時代後期と推定される。経塚の経壷と埋蔵品がセットになり、埋蔵時の様子をほぼ残した状態で出土しており、防長地域の経塚の特徴を考える上で大変貴重なものである。
出土品の内、特に白磁四耳壷(器高22.7cm、口径10.4cm)は、ほぼ完全な形で出土し、中国で作られた特注品の可能性がある。
県指定文化財。(平成3年12月10日指定)


【名称】

妙徳寺山1号経塚出土品
<18品>
白磁四耳壷(1個)、白磁椀(1個)、褐釉四耳壷(一個)、白磁小椀破片(一個分)、青白磁合子(六合)、青白磁合子身(三個)、湖州鏡(1面)、草花双雀鏡(一面)、銅銭残欠(一枚分)、鉄刀子(一口)、鞘金具残欠(一口分)


【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
     (厚狭図書館)

MAP TOP↑


妙徳寺山古墳出土品
 

妙徳寺山古墳出土品
(みょうとくじやまこふんしゅつどひん)

妙徳寺山古墳は、全長30mの前方後円墳であり、県内約30基の前方後円墳の中で22~23番目の大きさである。国道2号バイパス建設に先立つ分布調査で発見され、平成2年(1990年)、事前の発掘調査が実施された。未盗掘の主体部より捩文鏡(面径8.5cm)、鉄刀子、勾玉、管玉、小型勾玉が原位置を保った状態で出土し、周壕床面から鉄剣(現存長約14cm)、墓道から土師器高杯、短頸壷が出土した。
中でも、捩文鏡は清緻な文様が施されている。また、小型滑石製勾玉は全長6~9mmの大きさながら、形を正確に表現し、穿孔を施しており、当時の造形技術の高さをしのぶことができる。出土品は、5世紀前半代の在地首長の副葬品・供献品のセットの1パターンを示す貴重な資料である。
県指定文化財。(平成12年12月15日指定)


【名称】

妙徳寺山古墳出土品
<245品>
捩文鏡(1面)、鉄刀子(1口)、瑪瑙製勾玉(2個)、翡翠製勾玉(2個)、緑色凝灰岩製丁字頭勾玉(3個)、小型滑石製勾玉(174個)、管玉(59個)、鉄剣(1口)、高坏(1個)、短頸壷(1個)


【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
     (厚狭図書館)

MAP TOP↑



【市指定文化財】


塩浜石炭焚滓堆積地
塩浜石炭焚滓堆積地
(しおはませきたんたきかすたいせきち)
塩浜で製塩燃料として用いられた石炭の焚滓が最高約2.4m堆積。赤崎神社境内の木戸・刈屋口参道に面し、広さ約103㎡。防長の製塩史、また市の石炭産業史上価値の高いもの。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)

【名称】塩浜石炭焚滓堆積地
(しおはませきたんたきかすたいせきち)

【所在地】山陽小野田市大字小野田4365番地(松角)

【アクセス方法】 赤崎神社バス停留所横
MAP TOP↑

旧本山炭鉱斜坑坑口
 

旧本山炭鉱斜坑坑口
(きゅうもとやまたんこうしゃこうこうぐち)

この坑口は、大正6年(1917年)に坑道として設けられ、昭和16年(1941年)に完成し、昭和38年(1963年)3月に坑口を閉鎖するまで使用された。坑道は沖合約3km、最深部約200m、総延長約19kmに及んでいる。形状は鉄筋コンクリートづくりで側面は石組。特徴は坑口の忍返である。
市指定文化財。(平成10年3月23日指定)


【名称】旧本山炭鉱斜坑坑口

【所在地】山陽小野田市大字小野田字1の大須恵214番4(大須恵)

【アクセス方法】本山口バス停留所より徒歩1分
MAP TOP↑



高泊御開作新田記
 

高泊御開作新田記
(たかとまりごかいさくしんでんき)

寛文12年(1672年)の奥書がある古文書1巻。全長4.53m、幅35.5cm。寛文8年(1668年)汐止めの高泊開作400町歩の造成記録とともに、高泊神社の縁起である。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)


【名称】 高泊御開作新田記
(たかとまりごかいさくしんでんき)

【所在地】山陽小野田市大字西高泊1759番地(浜) 
     高泊神社

【アクセス方法】 JR南小野田駅より徒歩7分
MAP TOP↑



小野田の皿山用具
 

小野田の皿山用具(さらやまようぐ)

地場産業として活況を呈した製陶関係資料。ロクロほか102点の皿山用具の一部を歴史民俗資料館に展示。市指定文化財。(平成6年3月24日指定)


【名称】小野田の皿山用具(さらやまようぐ)

【所在地】山陽小野田市栄町9-21
     歴史民俗資料館

【アクセス方法】硫酸町バス停留所より徒歩3分
MAP TOP↑



小野田の皿山製品
 

小野田の皿山製品(さらやませいひん)

明治、大正、昭和期に地場産業として活況を呈した当時の皿山に関する歴史資料。硫酸瓶ほか99点の皿山で焼成した各種の製品。
市指定文化財。(平成6年3月24日指定)


【名称】小野田の皿山製品(さらやませいひん)

【所在地】山陽小野田市栄町9-21
     歴史民俗資料館

【アクセス方法】硫酸町バス停留所より徒歩3分
MAP TOP↑



松山窯跡出土品
 
松山窯跡出土品(まつやまがまあとしゅつどひん)

本山の字松山で発見された古代の窯跡から出土した須恵器。
杯身(つきみ)・高杯(たかつき)・平瓶(へいへい)・横瓶(よこべ)などの出土品20種、111個を歴史民俗資料館において保存。
市指定文化財。(昭和60年3月5日指定)


【名称】松山窯跡出土品

【所在地】山陽小野田市栄町9-21
     歴史民俗資料館

【アクセス方法】硫酸町バス停留所より徒歩3分
MAP TOP↑



仁保の上古墳
 
仁保の上古墳(にほのうえこふん)

有帆川の右岸、別所山尾根の突端、大字有帆字法師田にある横穴式古墳で、築造年代は6世紀末であると考えられる。
墳丘は自然流失して損壊し、玄室のみとなっており、玄室の規模は直径2.06mで、須恵器片2個を出土している。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)


【名称】仁保の上古墳

【所在地】山陽小野田市大字有帆180番地
(仁保の上)

【アクセス方法】中村バス停留所より徒歩7分
MAP TOP↑

仁保の上道乾屋敷跡
 
仁保の上道乾屋敷跡
(にほのうえどうかんやしきあと)

古くから「どうかん屋敷跡」と伝えられる屋敷地。奥行き18m、正面には石垣があり、長さ約50m、高さ約1mで中世時代の石組みの様子を見せる。
「どうかん」については、岩崎寺観音堂に掲げる明徳3年(1392年)の鰐口銘にただ、「道乾」とのみ見え、俗姓は記されていないが、その人物の屋敷跡とも考えられる。
近郷を領地とした中世豪族の屋敷跡と想定される貴重な遺跡。
市指定文化財。(平成6年3月24日指定)


【名称】仁保の上道乾屋敷跡
    (にほのうえどうかんやしきあと)

【所在地】山陽小野田市大字有帆字上田尻2252番地1~5、2255番地1~6(仁保の上)


MAP TOP↑

法蓮寺梵鐘
 
法蓮寺梵鐘(ほうれんじぼんしょう)
風水害の際、高泊開作の農民への急を知らせる合図の鐘として元禄3年(1690年)に鋳造されたもの。高さ97.5cm、口径55cm。
市指定文化財。(昭和60年3月5日指定)
【名称】法蓮寺梵鐘(ほうれんじぼんしょう)

【所在地】山陽小野田市大字西高泊886番地
(烏帽子岩)法蓮寺

【アクセス方法】神田バス停留所より徒歩5分
MAP TOP↑


旦の登り窯
 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

天保末年(1840年頃)陶工甚吉が登り窯を開き製陶業繁栄へと繋がった往時を偲ばせる窯である。幅7.5m、煙突の高さ12.3m。
市指定文化財。(平成6年12月14日指定)


【名称】旦の登り窯(だんののぼりがま)

【所在地】山陽小野田市旦西

【アクセス方法】JR目出駅より徒歩15分
MAP TOP↑


千林尼の大休・指月石畳道
 

千林尼の大休・指月石畳道
(せんりんにのたいきゅう・しづきいしだたみみち)

船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が、険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集め、敷いた石畳道の一つで、文久2年(1862年)8月に完成した。現存の石畳道はその一部で、敷石の長さ約260m、幅1.5mである。
市指定文化財。(平成6年12月14日指定)


【名称】千林尼の大休・指月石畳道

(せんりんにのたいきゅうしづきいしだたみみち)

【所在地】山陽小野田市大字有帆字大休

【アクセス方法】
 中村バス停留所(有帆)より徒歩10分
MAP TOP↑

塚の川古墳
 

塚の川古墳(つかのこうこふん)

古墳時代の後期、6世紀末に築かれた古墳で、この地方を掌握した豪族とその家族の墓とも考えられている。また、この当時、竜王山南麓一帯で須恵器の生産が活発に展開されていた頃で、単独墳として、この地域に卓越していた墳丘・石室規模を持つことから、その被葬者は、須恵器の生産集団の統率者であったと推定される。
墳丘は直径約15m、墳丘周囲の空堀を含めると古墳全体の直径は約27mになり、県内でも大型の円墳の1つといえる。
内部に設けられている石室は、全長8.1mの横穴式石室と呼ばれるもので、とりわけ玄室・前室・羨道(せんどう)からなる複室構造となっている。1人のためにつくった古い古墳とは違い、一族の追葬が可能な構造となっているところに、この古墳の特徴がある。
遺骸を安置した玄室は、奥行き3.2m、幅2.5m、高さ2.4mあり、玄室と前室の床面には板石や円礫が敷かれており、玄室中央から羨道(せんどう)までの床面下には排水用の溝が設けられている。
出土遺物は須恵器の杯身(つきみ)、平瓶(へいへい)など供物を盛った器のほか、身を装った耳環、武器であった鉄鏃(てつぞく)などがある。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)


【名称】塚の川古墳(つかのこうこふん)

【所在地】山陽小野田市松角

【アクセス方法】

 赤崎神社前バス停留所より徒歩3分

MAP TOP↑


岩崎寺観音堂鰐口
 

岩崎寺観音堂鰐口
(がんきじかんのんどうわにぐち)

鰐口の銘文によると、明徳3年(1392年)4月16日に道乾が願主となって大工国弘に鋳造させ岩崎寺の堂前に懸けたものである。道乾や大工国弘等不明な点があるが、防長の鰐口には他に例を見ない珍しい銘文からは、室町時代初期の世上不安が窺える。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)


【名称】 岩崎寺観音堂鰐口

【所在地】山陽小野田市角石

MAP TOP↑


長光寺山経塚
 

長光寺山経塚(ちょうこうじやまきょうづか)

明治14年(1881年)神獣鏡等とともに湖州鏡が採集され、昭和46年の発掘調査により古墳の後円部西室南端(頂点)に経塚が営まれていたことが確認された。
本経塚の造営期は、遺物等から判断して平安時代末期を中心にその前後に置かれるものと推定される。
市指定文化財。(昭和50年5月27日指定)


【名称】長光寺山経塚

【所在地】山陽小野田市大字郡字弥ヶ迫

 698番地の15(西下津地内)


MAP TOP↑

長光寺山経塚出土品
 

長光寺山経塚出土品
(ちょうこうじやまきょうづかしゅつどひん)

湖州鏡1面を除けば、すべて昭和46年度調査によって得られた資料である。遺物中に経筒は遺存しておらず、他のいくらかの遺物と共に散逸したものと考えられる。したがって、経文もなく、経塚造営の意趣などすべて不詳である。
市指定文化財。(昭和50年5月27日指定)


【名称】

長光寺山経塚出土品
<12品>
陶製経外筒(1個体)、須恵器杯蓋片(1個体)、山吹双鳥鏡(1面)、湖州鏡(1面)、青白磁合子(2合)、陶器杯破片(1個体)、土師器杯破片(3個体)、小型土製円板(1個)、不明土製品(1個体)


【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
 厚狭図書館


MAP TOP↑


松嶽山正法寺古文書
 

松嶽山正法寺古文書
(まつたけやましょうほうじこぶんしょ)

正暦2年(991年)開かれた松嶽山正法寺は、12世紀末の源平大兵乱の戦火で旧記、縁起などことごとく焼失してしまったが、幸い13世紀から17世紀に及ぶ63点の古文書が残った。4期に分けて武士による正法寺荘園侵略の過程を示すもので、中世寺社衰退の片鱗を物語っている。
市指定文化財。(昭和50年5月27日指定)


【名称】松嶽山正法寺古文書

【所在地】山陽小野田市大字鴨庄109番地
 厚狭図書館


MAP TOP↑


厚狭毛利家墓所及び墓碑
 

厚狭毛利家墓所及び墓碑
(あさもうりけぼしょおよびぼひ)

墓所は、洞玄寺裏山に概ね東方に正面を向けた逆台型の約500㎡の敷地で、厚狭毛利家の菩提寺として二代元康以降十三代四一に至る歴代当主及び一門43基の墓碑が建立されている。三代元宣が元康の法号により洞玄寺と命名した。
市指定文化財。(昭和53年10月26日指定)


【名称】 厚狭毛利家墓所及び墓碑

【所在地】山陽小野田市大字郡696番地の1

(西下津地内)


MAP TOP↑



薬師如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像
 

薬師如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像
(やくしじょらいざぞう・ふどうみょうおうりつぞう・るしゃもんてんりつぞう)

薬師堂は、天台宗の寺院として創建後、臨済宗を経て現在の曹洞宗へと改宗した円応寺の裏山中腹にあったため、天和2年(1682年)の本堂火災を免れた。本尊薬師如来坐像は高さ86cmで天平20年(748年)僧行基の寄進によるもので、脇立の不動明王は高さ111.7cm、毘沙門天は高さ112.5cmで弘法大師の作であるが、安置時期は不明で、当初から脇立であったかわからない。3躯とも桧材の寄木造りで、本尊は元弘3年(1331年)、脇像は宝暦5年(1755年)修補が行われ、秘仏として33年ごとの開帳のため保存状態は良い。
市指定文化財。(昭和55年1月24日指定)


【名称】
 薬師如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像

【所在地】山陽小野田市大字鴨庄431番地
     円応寺薬師堂


MAP TOP↑


石字経王
 
石字経王塔(せきじきょうおうとう)

洞玄寺本堂の左前方に位置し、5段の方形石積基壇の上部に2層の石塔を載せた、横7m・縦8m・高さ5mの経塚である。中央正面には「石字経王塔」の5字、方形基壇4段目の外側に618字の漢字文が刻まれ、5段基壇内部の空洞内には1石に1字の経文字を記した川原石が埋納されている。
厚狭毛利家7代・就盈公の奥方・芳菊院が、亡父・元連の7回忌の供養のため、安永9年(1780年)建立したものである。先に市指定された裏山の墓所と併せ、二百数十年に亘る厚狭毛利家を偲ぶ史跡である。
市指定文化財。(昭和63年7月27日指定)


【名称】石字経王塔
【所在地】山陽小野田市大字郡1896番地
洞玄寺境内
MAP TOP↑


糸根の松原
 

糸根の松原(いとねのまつばら)

糸根地区公園内のクロマツ巨樹群約12,000㎡(クロマツの成木約90本)。当松原は、JR埴生駅南方約1.0km、埴生小学校の前方国道2号に添い、沿岸のかっての砂洲上に群生するクロマツ巨樹群である。最大のものは、目通り幹囲293cm、樹高20mの大木である。樹齢は最高で約200年と推定される。
このクロマツ林は、風光明媚な景観を演出し、また防風林として海辺の人家を守り、漁民の休憩、小舟の避難などに格好の場を提供してきた。
「社寺由来」土生(はぶ)村八幡の項に「昔、和泉式部がこの八幡社の前の松原で安産されたので、その時分から阿子寝の松原と申し伝えていた。」と届け出た旨記されている。言い伝えによると「当初の愛寝(いとしね)の松原が阿子寝(あこね)の松原に、さらになまって現在の糸根の松原」になったという。市指定文化財。(平成2年11月29日指定)


【名称】糸根の松原

【所在地】山陽小野田市大字埴生字赤子寝3229-12


MAP TOP↑


平松1号古墳
 

平松1号古墳(ひらまついちごうこふん)

埴生地区の古墳時代後期の横穴式石室古墳(円墳)。年代的には5世紀~6世紀(古墳時代後期)群集墳として小規模のものが多く作られている。この地域にはもう一つ古墳(平松2号古墳)の存在が確認されている。(未発掘)
位置には、東西12.5m、南北10m、高さ3.5mの小規模な古墳で、内部の構造は、羨道(高さ1.4m、幅1.5m)前室(高さ1.8m、幅2.3m)の複室式の横穴式石室となっている。これは、合葬墓的性格を示すものとして特質を持っている。副葬品は須恵の破片が一つのみであった。県内外分布状況としては、この構造を持つ古墳は北九州、山口県に広く分布している。
市指定文化財。(平成5年4月30日指定)


【名称】平松1号古墳

【所在地】山陽小野田市大字津布田字柱ケ迫


MAP TOP↑


古式行事

古式行事(こしきぎょうじ)

古式行事は、秋の収穫を祝い、厚狭天満宮への奉納行事として行われているもので、別名を大名行列という。「大行司」、「小行司」、後に新設をした「姫かご」で構成され、「アーヨイセー。アーヨイヤサノサー。アーコレワイサノサー。」という掛け声と、六方を踏んで歩く踊りの所作等が独特である。
大名行列としては、いつごろからどのような目的で行われるようになったのかは定かでないが、言い伝えや新聞記事から、明治末(明治30年)頃には、確実に現在の形に近い行列の奉納が行われていたと考えられる。
一時衰退するも、長い伝統と歴史を継承すべく昭和52年に個人・法人1,500名が会員となって「古式行事保存会」を発足し、現在、唯一の市指定無形民俗文化財(平成16年6月29日指定)として、保存継承に努めている。


【名称】古式行事

【保持団体】山陽小野田市古式行事保存会


MAP TOP↑


ハマセンダン

ハマセンダン

竜王山山すその大浜神社跡の裏に生育する巨木。目通りは5.2m、根回りは約12m、樹高は約15mで、国内最大級。雄株。樹齢はおよそ250年と思われるが樹勢は旺盛である。

●ハマセンダンの一般的な特徴
暖地の、海岸に近い山林に生育する木で、本州(三重県以西)、四国、九州、沖縄、台湾、中国大陸南部にかけて分布する。県内では、下関市の火の山や満珠・干珠、山陽小野田市梶の火ノ山、また萩市の笠山や須佐の日本海沿岸で生育している。7~8月、枝先に多数の緑白色の花をつける。

市指定文化財。(平成25年6月7日指定)



【名称】ハマセンダン

【所在地】山陽小野田市大字小野田1094番地


MAP TOP↑






【山陽小野田市文化財に関するお問い合わせ】

 教育委員会社会教育課
 TEL 0836(82)1204
 E-MAIL:shakyo@city.sanyo-onoda.lg.jp



【お問い合わせ】
山陽小野田観光協会
〒756-8601
山口県山陽小野田市日の出一丁目1番1号
山陽小野田市役所2F観光課内
TEL:0836(82)1313
FAX:0836(82)1313
メールでのお問い合わせ