本山岬の歴史
本山は、上中山、上条、居能(宇部市藤山)とともに阿川毛利の領地でした。領主 毛利広規(ひろのり)は、田の尻開作一町歩を開き、居能の旧族・桜井作右衛門(さくえもん)を本山に移住させました。元禄3年(1690年)作右衛門がこの地の鎮守として、京都・男山八幡宮(現在の石清水八幡宮)から勧請(かんじょう=神様の分身を移し、祀ること)し、創建と伝えられる明光(めいこう)八幡宮跡がありましたが、明治末年の神社整理で赤崎神社境内の松原神社に合祀されました。跡地には石段、灯籠の一部が残っています。
岬沖には“沖の瀬”と呼ばれる1㎞に及ぶ暗礁があり、海難事故が多発していました。
明治26年(1893年)、柴田寿之助(ひさのすけ)(小野田セメント会社に原料の粘土を運搬していた地元の人)が明光八幡宮付近に金毘羅大権現社を勧請、創建。航海の安全を祈願しました。信仰は現在も続いています。

参考文献:山陽小野田語り部の会ガイドブック



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