20 渡場 2009年3月

渡場.png

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡場は交通の要衝として、古くから文字どおり渡舟が運行されていて、大正から昭和にかけては、通勤者や通学者など、1日に400人ほどの利用がありました。舟は後潟側と吉部田側の双方から運営され、双方が2日ずつの交代制をとっていました。後潟側の舟は、営んでいた庄屋から「大黒屋渡し」と呼ばれ、また吉部田側の舟は、吉部田・渡場両部落の共同経営だったそうです。舟は大雨の日も雪の日も年中無休で運行され、両岸はともに渡場と呼ばれ栄えました。昭和2年に厚狭川橋が完成し、渡舟は廃止されましたが、渡舟が出た波止は今でも残っています。(出典:『山陽町史』『小野田市史 通史』)

 

※写真左の波止は、国道190号線にある厚狭川橋から見えます。

記事一覧

アーカイブ