27 厚狭毛利氏 2009年10月

厚狭毛利氏.pngのサムネール画像

 

 

 

 

 【アクセス】 下津バス停から徒歩で10分

 

 

 

 

 

 

厚狭毛利氏は、毛利元就の五男である元秋を祖とし、後に八男の元康が元秋の後を継ぎ、関が原の合戦後、厚狭郡に1万5百石を拝領したのが始まりです。その後、元秋の子・元宣が家督を相続し、厚狭郡末益村(現:山陽小野田市大字郡)に居館を構えたことで、"厚狭毛利"と呼ばれるようになりました。現在は、殿町四自治会内に井戸と石垣の一部がわずかに残されているだけですが、西下津の洞玄寺の裏山には厚狭毛利氏の墓所があり、毛利元康以降13代とその一門43基の墓碑が残されています。厚狭高等学校南校舎の前身となった船木女児小学(徳基学舎)の創始者、毛利勅子(ときこ)の墓もその中に並び、厚狭毛利氏の栄枯盛衰が偲ばれます。(出典:『山陽町史』)

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