84 小野田高等学校初代校長 粟屋活輔 2015年4月

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 元治元年(1864年)に厚狭郡郡村の厚狭毛利家側医粟屋行蔵の嫡子として生まれた活輔は、幼少のころに厚狭毛利家12代毛利英之輔の御おとぎ陪伴(遊び相手)を務めていたことから、10代元美の夫人で女子教育の先駆者である毛利勅子からも可愛がられて育ちます。東京大学医学部予科を病気で中退。明治17年(1884年)4月に東下津の自宅にある書斎で私塾「如不及堂」を開き、教育者の道を進みます。塾はのちに念願の中等教育機関へ発展を遂げ、明治36年(1903年)に現在地への移転と同時に「長門興風学校」となり、さらに明治39年(1906年)に5年制の「私学興風中学校」へ移行します。この中学校の初代校長を活輔が務め、改編を繰り返しながら、現在の県立小野田高等学校になりました。学校の正門階段を上ると、正面に活輔の立派な頌徳碑があり、教育に情熱を注ぎ私財を投じて学校を運営した活輔は、旧厚狭郡の文教の父として今もなお慕われています。

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