古墳時代の後期、6世紀末に築かれた古墳で、この地方を掌握した豪族とその家族の墓とも考えられている。また、この当時、竜王山南麓一帯で須恵器の生産が活発に展開されていた頃で、単独墳として、この地域に卓越していた墳丘・石室規模を持つことから、その被葬者は、須恵器の生産集団の統率者であったと推定される。
墳丘は直径約15m、墳丘周囲の空堀を含めると古墳全体の直径は約27mになり、県内でも大型の円墳の1つといえる。
内部に設けられている石室は、全長8.1mの横穴式石室と呼ばれるもので、とりわけ玄室・前室・羨道(せんどう)からなる複室構造となっている。1人のためにつくった古い古墳とは違い、一族の追葬が可能な構造となっているところに、この古墳の特徴がある。遺骸を安置した玄室は、奥行き3.2m、幅2.5m、高さ2.4mあり、玄室と前室の床面には板石や円礫が敷かれており、玄室中央から羨道(せんどう)までの床面下には排水用の溝が設けられている。
出土遺物は須恵器の杯身(つきみ)、平瓶(へいへい)など供物を盛った器のほか、身を装った耳環、武器であった鉄鏃(てつぞく)などがある。
市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)
Information
- 所在地
- 756-0817 小野田4228−4